災害時の埋立地
宮城県沖地震時の混雑
宮城県沖地震の時の埋立地の混み具合は大変なものであった。
通常は,街はずれにある原町事業所で計量し料金を払って埋立地へ,あるいは,埋立地の麓の計量所で料金を支払い,埋立地に運んで行く。
だがこの時は,災害ごみで無料ということと,あまりの搬入車の台数の多さのため原町事業所では計量せず,埋立地の計量所でも見た感じで計るいわゆる「めかん」で重量を計った(搬入量の正確さには疑問符が付くようであった。)。
そのため埋立地入口を先頭に大渋滞になった。その車の多さは,埋立地から山の麓の計量所まで2km位,更にその後ろの県道にはみだし,2km位,つまり4~5kmの大渋滞だった。
県道は道幅が狭く,一般の車も巻添えになり,交通の整理にあたった職員が大変怒られた。
通常一日で200~300台程度の搬入車がなんと1,500台にもふくれあがった。
(廃棄物資源循環学会誌 Vol.28 No.3 2017)
昭和61年8月5日の豪雨(8.5豪雨)
災害が発生したときは,様々なものが運び込まれる。
例えば,ラベルが濡れたという理由でケースごと廃棄される高級輸入洋酒,少々濡れた自動車のシートカバー等の自動車用品,スリッパ,缶詰等の小物から家具調電気こたつ等まで実に様々で,人間が生活するのに事欠かない位あらゆるものが廃棄された。
これらは,いずれも品質は全く変化していないのに,災害によって放送が壊れたり,濡れたりして「消費化価値」が無くなったものである。
排出業者は保険で被害をカバーするため,確実に埋め立てられたところまで写真を撮る。何とももったいない話である。
埋立地の職員曰く「ここでテントを張っていれば,豪華な生活ができるな。」