チリ地震津波(昭和35年)
し尿の処理は,海洋投棄船により海洋投棄をしていた。
し尿の海洋投棄船青葉丸は,運搬するものが,黄色い色をしているだけに,仲間内では黄金丸と呼ばれていた。
これは,青葉丸がまだ就航する前,小型の汚物処理船第1~3清仙丸で海洋投棄をしていた頃の話である。
ある日,その清仙丸が出発前,港に停泊中に乗組員の一人が潮の異常に気がついた。そこでさっそく海上保安庁に問い合せたところ何も変ったことは無いとの返事であった。乗組員は,不安に思いながらも,投棄しなければ貯まる一方のし尿を海洋投棄するために沖に向かった。
沖に向って出て行く時である。滝のような巨大な波が沖の方から押寄せて来た。
船長が驚いて機関長に「機関長どうする!」と叫んだ。
機関長はすかさず,「突っ込むしかありません!」
船長は,「あの高波に突っ込め!」と号令を下した。
清仙丸はその高い波に突っ込んで行き,事なきを得た。
そのままでいればし尿もろとも転覆し何人かが死亡したかもしれない。優れた操縦技術で波に突っ込んだお陰で船も乗組員も難を逃れることができた。もしこの清仙丸が沈没していたら,市内の便槽は,処理先を失った汚物であふれるところであった。当時の職員の間では,「勲章もの」と言われた。
その大きな波がチリ地震津波だったというのは後で判ったことである。